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ギター偉人伝

ジョン・ディアンジェリコ JOHN D'ANGELICO(1905〜1964)

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多くのジャズ・ミュージシャンにとって憧れの
的であるディアンジェリコのニューヨーカー・
スタンダード写真のギターは近年ディアン
ジェリコ・ジャパンより発売された復刻モデル。
スモール・ハムバッキング・ピックアップは
ベスタクス・オリジナル製のものをマウント。
済んだ美しいトーンが印象的だ。

 アーチトップ・ギターを完成へと導き、その人気を決定付けたのはギブソンであるが、それを一つ上の段階の高みに押し上げた存在がジョン・ディアンジェリコであることは間違いないだろう。彼が作り上げたギターの数々は個人製作家としては異例といえるほどヴィンテージ市場で高値を呼び、彼がデザインしたギターは現在でも数多くのギタリストを魅了し続けている。

 ジョン・ディアンジェリコは1905年、ニューヨークのイタリア系アメリカ人の家に4人兄弟の長男として生まれた。彼の大叔父のラファエル・シアーニがイタリアン・スタイルのヴァイオリンやマンドリン、フラット・トップ・ギターなどの弦楽器の製作・修理の仕事をしていた関係で、9才の時からシアーニの元で修行を始めた。シアーニの死後、彼は10代の若さでショップの監督権を受け継ぐこととなった。だが、ショップを運営するよりも自ら楽器を製作することに興味を持ったジョンは'32年、27才の時に独立し、ニューヨークのケンメア・ストリートに自らのショップをオープンし、ヴィンセント“ジミー”ディセリオをアシスタントとして雇い、ギター製作を開始した。当初はヴァイオリンやマンドリンを製作し、同時にギブソンL-5を模倣したギターの製作も開始した。当初はマンドリン・オーケストラを構成する楽器の一つという位置付けのアーチトップ・ギターだったが、'20年代の終わりにジャズ・ギターのパイオニアであるエディ・ラングがL-5を手に活躍し始めた頃から人気が高まり、'30年代に入ってからは他メーカーもギブソンに倣いfホールの付いたアーチトップ・ギターを作り始めた。このような時代にジョンがギブソンL-5をモデルにしたのは自然の成り行きだったが、ボディ・サイズに関してはL-5が16インチなのに対しジョンのギターは16 1/2インチとなっていた。

 '36年には自らのデザインによるスタイルAとスタイルB、そしてニューヨーカーとエクセルと名付けたモデルを作り始めた。ディアンジェリコを代表するモデルとなるニュー・ヨーカーは17 3/4インチ、エクセルは17インチのボディ幅を持ち、Xブレイシングを採用していた。これは'34年にL-5のサイズを17インチ幅に拡張し、同年に18インチ幅の最高峰ギター、スーパー400を発表したのに触発された部分が大きい。だが、この2モデルはヘッドのインレイやピックガードテイルピースなどのデザインにアール・デコを採り入れた。ニューヨーカーのヘッドのインレイはマンハッタンの摩天楼をモチーフとしたものであり、エクセルの“ブロークン・スクロール”と呼ばれるヘッド先端をカットした独自のデザインはイタリアのマンドリンの意匠を継承するもので、ディアンジェリコならではのアイディンティが形となって現れている部分だ。

 '47年にはニューヨーカー、エクセル共にカッタウェイ仕様を作り始めた。これによりディアンジェリコのギターは完成を見、アーチトップ・ギターの規範として多くの追従者を生み出した。その中でも正統的な後継者がジェイムズ・ダキストだ。ダキストは'52年、17才の時に見習いとしてジョン・ディアンジェリコに弟子入りし、ジョンが亡くなるまで彼の工房で働いた。ジョンの死後、ダキストは自らのギターワークショップを開き、自分の名前を冠したギターを製作し始めた。当初はディアンジェリコのギターの仕様とデザインを継承したモデルを製作していたが、後に独自の発想による進化したアーチトップ・ギターを何本も生み出し、アーチトップ・ギターの個人製作家としてディアンジェリコと並ぶ存在にまでになった。そのダキストも、'95年に、皮肉にも師匠と同じ59才で他界してしまった。

 ディアンジェリコのギターはユーザーからのオーダーのみによって作られ、これは彼が死ぬまで変わることはなかった。徐々にディアンジェリコのギターは有名なギタリストに使われるようになった。例えばジョニー・スミス、チェット・アトキンスなどの巨匠として知られるミュージシャン達だ。彼らが使用したこともあり、ディアンジェリコのギターはアーチトップ・ギターの頂点として多くの人に知られるようになった。

 '64年、ジョン・ディアンジェリコは心臓発作によってこの世を去った。まだ59才という若さだった。彼が32年間に作り上げたギターは1,000本強。個人製作家としては少なくはない数字ではあるが、世界中のディアンジェリコのギターを求める人々の数がヴィンテージ市場での価格を上昇させている。高嶺の花となってしまったディアンジェリコのギターを望む声は絶えることなく、それに応え、現在では日本でジョンの意志を受け継ぎ、新たなディアンジェリコ・ギターが創造されている。

(川上啓之)
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