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ギター偉人伝

オーヴィル・ギブソン ORVILLE H.GIBSON(1856〜1918)

 世界を代表するギター・ブランド創業者として名を残すオーヴィル・ヘンリー・ギブソン。彼が生きた時代は、エレクトリック・ギターはもちろん存在せず、現在製品として流通しているスティール弦のフラットトップ・アコースティック・ギターも黎明期であり、彼自身が創造した楽器がそのままの形で現在に継承されているわけではない。しかし、アーチトップ・ギターに代表される彼が考案し作り上げた楽器は、その歴史上大きな意味を持ち、古典として成立している。彼の残した足跡を探ることで弦楽器製造の潮流が見え、彼の名前が現在に至るまで受け継がれている意味が解ってくるだろう。

 1856年ニューヨーク州シャトーゲイという街で生まれたオーヴィルは、1881年に故郷を離れてミシガン州カラマズーに移住し、ここで靴屋の店員をはじめ、様々な職種に就いて働き、その傍らでパートタイムでギターをプレイし、趣味の木工に勤しんでいた。その流れで弦楽器の製造に興味を持ち、本業の暇を見ては古い家具から採った木材を使用してヴァイオリンやマンドリン、ギターを作り始めた。最初は自分で演奏して楽しんでいたが、元々手先が器用で音楽的感性にも恵まれていたオーヴィルの作る弦楽器は周囲の評判となり、次第に“売ってほしい”と言う人も現れるようになった。1896年、オーヴィルは弦楽器製作を本業にすることを決意し、靴屋を退職して弦楽器工房を開いた。カラマズーのサウス・バーディック通りに開いた彼の工房はわずか10平方メートルの狭いものだった(写真A)。彼は新築のために解体されたボストン市庁舎の古い建材や調達品を買い取り、それをヴァイオリンの材料として製作を始めた。彼がその頃に製作したヴァイオリンは古典弦楽器の本場であるヨーロッパにまで渡り、高い評価を得たと記録されている。オーヴィルはヴァイオリン製作を取っ掛かりに、マンドリン、ギターへと手を広げていった(写真B)。

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写真A:1896年にオーヴィルが
開いた弦楽器工房の様子。
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写真B:1900年以前にオーヴィルが
製作したマンドリンとギター。

 オーヴィルはギターやマンドリンの製造に削り出しによるトップ、バックだけでなく、サイドも削り出しによって製作した。これはヴァイオリン製作から採り入れたアイデアと思われるが、その頃は既に薄い板に曲げ加工を施してサイドの曲面を作り出す手法が中心になっていたにもかかわらず、オーヴィルには“圧力をかけて曲げた材はストレスを生じており、それよりも削り出しによる材の方が音響特性の点で優れている”という信念があったようだ。ヴァイオリン製作の手法をギターに採り入れたアーチトップ・ギターのデザインの源流は、オーヴィルが生み出したものだったのだ。またネックはホロウ構造という現在では目にしないものだったが、これもボディの共鳴室の延長としての役割を持ち、振動のクオリティを高め、美しい音色が得られるという理念に基づくもので、オーヴィルはこの構造によってパテントを取得していた。オーヴィルの作り出したマンドリンも、それまでにあったものとは全くことなるデザインを備えており、洋ナシ型とフロレンタインと呼ばれるスクロール・デザインを採り入れたボディのものがあった。このフロレンタイン・シェイプは、丸いサウンド・ホールの形状を除き、ギブソン社が現在に至るまで生産し、多くの他メーカーに模倣されたそのままのデザインとしてこの時点で完成されていた。オーヴィルはこの他にもハープ・ギター(写真C)やハープ・チター(写真D)などのユニークな弦楽器の製造も手掛けた。彼がこの頃製作した楽器のヘッドには月と星をモチーフとしたインレイが見られるが、これはミシガン州グランド・ラピッツに住むトルコ人職人によるものだった。

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写真C:オーヴィルが製作したハープ・ギター。
通常の6弦の他に、12本のサブ・ベース・ストリングを
備えている。ボディのバインディングは、
真珠貝とエボニーが交互に埋め込まれるなど、
丁寧な仕事ぶりが伺える。
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写真D:オーヴィルが製作したハープ・チター。
5本のメロディ用の弦に加え、32本の開放弦が
張られている。非常に独創的かつ優雅なデザインで、
32本の弦を支えるテイル・ピースも印象的だ。

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写真E:1900年初等の
“ギブソン・マンドリン-ギター・カンパニー”
(1906年にザ・ギブソン・マンドリン・ギター・
マニファクチュアリングCO.,LTDより改名)
の挿絵。

 オーヴィルの弦楽器製作も軌道に乗り、多くの注文が舞い込むようになり、彼の後援者達がギブソンの名を冠した会社を設立することとなった。カラマズーにあったパン工場を買収し、出資者が集まって資本金12,000ドルでザ・ギブソン・マンドリン・ギター・マニファクチュアリングCO.,LTDが1902年10月11日に設立された(写真E)。社長には筆頭株主だったジョンW.アダムスが就任し、ギブソン社からは毎月、オーヴィルに対してブランド名と彼が取得した特許の使用料を支払う形となった。オーヴィルはコンサルタントとして工場に出向いて製作上のアドバイスをすることはあったが、彼自身は会社経営には興味がなく、まったく関わることはなかった。彼はギブソン社が設立された後、実際にはほんの初期しか密接な関わりを持たず、独自で楽器製造を続けたという。

 '11年から健康を害していたオーヴィルは'16年にはカラマズーを離れ、ニューヨーク州オグデンスバーグの病院で治療を受けていた。'18年8月21日、オーヴィルH.ギブソンは62才でこの世を去った。死因は心内膜炎だった。   

(川上啓之)
写真提供:株式会社山野楽器 海外営業部(“The Gibson Story”より転載)

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