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ギター偉人伝

テッド・マッカーティー Theodore M.McCarty(1910〜2001)

 '48年に入社し、'50年には40歳の若さで当時のギブソン社のトップの地位に着き、その後'66年の退社まで、ギブソンの黄金時代を築きあげたテッド・マッカーティーは、特にエレクトリック・ギターの歴史において大きな功績と名声を残している。彼はギブソン社の発展に大きな貢献をもたらした経営者としてのみならず、現在に至るまで継承される画期的なギターの構造の開発やレス・ポール・モデルやES-335など多数の製品開発に関与したことで知られている。彼が残した偉大な業績を紐解いてみよう。

 1910年、ケンタッキー州サマーセットに生まれ、オハイオ州シンシナティで育ったセオドアM. マッカーティーはシンシナティ大学でエンジニアリングについて学び、在学中から大学の書店で働き、卒業後はその経営管理に携わっていた。そして結婚を機に地元シンシナティにあった世界的な鍵盤楽器メーカーのウーリッツァーに就職した。彼は書店での仕事で得たビジネス経験を元にウーリッツァー社で販売促進や経理、資材購入の仕事に携わり、退社前はその部門の責任者を務めていた。そこでの実績と手腕を買われ、'44年にギブソン社を買収したシカゴ・ミュージカル・インストゥルメント・カンパニーの社長だったモーリス・バーリンの要請で、テッドは'48年、ギブソンに入社する。当初は最高経営責任者として就任し、まもなく'50年には社長の座を得た。

 テッドは経営面でギブソン社への参加を請われたが、元々エンジニアリングを勉強してきた経緯もあり、工場を見回る中で製品の開発にも積極的にアイデアを出した。彼の名前がギブソン社の歴史に刻まれた最初の功績は、ピックガードにピックアップやコントローラー、アウトプット・ジャックが一体化して搭載されたフィンガーレスト・ピックアップだ。'48年にテッドの名前でパテント出願されたこのフィンガーレスト・ピックアップは、取り付ける際にボディ・トップに穴を開けたりして鳴りを損なったりせず、最小限の加工で取り付けられるというものだった。同時期にテッドはES-175、ES-5といった現在もファンの多い名機の開発にも携わっている。

 彼の残した功績の最も大きなものの一つはレス・ポール・モデルの開発に関わったという点だろう。'50年にフェンダー社から発表されたソリッド・ボディのエレクトリック・ギターであるブロードキャスター(後にテレキャスターと変更)は当初、楽器業界からは冷ややかに受け止められていたが、次第にギタリスト達に普及し始め、その数はギブソン社にとっても無視できないものとなっていた。最初にエレクトリック・ギターを量産化し、当時トップの位置にあったギブソン社としても、優れたソリッド・ボディのエレクトリック・ギターを開発する必要が生じたわけだ。ギブソン社がソリッド・ボディのエレクトリック・ギターを開発するにあたり、当時トップ・ギタリストの地位にあったレス・ポール氏を'40年代初めからソリッド・ボディのエレクトリック・ギターに関するアイデアを試行しており、ギブソンに協力を求めたこともあったので、両者にとって最善の結びつきとなったわけだ。'50年から51年の間にかけて製作されたレス・ポール・モデルのプロトタイプが作られた。これに関してはギブソン社側とレス・ポール氏で意見が分かれている部分だが、伝統的なギブソンのフル・アコースティック・ギターを縮小したようなボディ・シェイプ、マホガニー・バックにメイプルを貼り付けたアーチトップ・ボディといったデザインは、テッドの指揮の元、ウォルター・フラーを初めとするギブソンのエンジニア・スタッフによるデザインと見て間違いないようだ。テッドは自らそのプロトタイプのギターを携えてレス・ポール氏のもとを訪ね、レス・ポール氏の承諾を得て彼と契約を結ぶこととなった。テッドがレス・ポール氏に見せたプロトタイプは'52年に市販が開始された際のものとほぼ同じ仕様だったが、フィニッシュはサンバーストで、ボディにはブランコ型テイルピースと独立したブリッジが載せられていたという。そのプロトタイプを試奏したレス・ポール氏の意見を採り入れ、彼自身が開発したコンビネーション・ブリッジ・テイルピースを搭載し、ゴールド・トップ・フィニッシュとなった。

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1952年にすでに考案されていた、
テッド・マッカーティのチューン“O”マチック・ブリッジ。
パテントは1956年4月に与えられた。

 '52年に正式に発表されたレス・ポール・モデルは好評を博したが、弦を下側に通すスタイルのトラピーズ・ブリッジ/テイルピースは右手で弦をミュートできないというデメリットがあった。そこで'53年にはテッド・マッカーティーのデザインによるスタッド・ブリッジ/テールピーへと仕様変更された。これはボディに埋め込んだアンカーを介して2本のスタッドでブリッジとテイルピースを兼ねるバー状のパーツがセットされるもので、スタッドで弦高調整が行なえ、左右端のイモネジによって簡易なイントネーション調整も可能というシンプルながら優れたデザインを持っていた。'53年にパテント出願が提出されたこのスタッド・ブリッジ/テイルピースは“テッド・マッカーティー・ブリッジ”の愛称で呼ばれ、今なおそのデザインと特有のサウンドを愛するファンも多い。

 '55年にレス・ポール・モデルは再びブリッジ部のモデル・チェンジを受けた。この時に採用されたのが、既に'52年にパテント出願が提出されていたチューン・オーマティック・ブリッジだった。'51年にグレッチのギターに搭載されていたメリタ・ブリッジの影響から開発されたこのブリッジは、各弦独立してイントネーション調整が可能なもので、ボディに直接打ち込んだスタッドとサム・ナットによって弦高調整もできるというものだった。現在、かつてのデザインの復刻版やその改良バージョンであるナッシュヴィル・チューン・オーマティック・ブリッジも含め、多くのギブソン・ギターに搭載されている個のブリッジも、やはりテッド・マッカーティーの名前でパテント出願がなされている。

 ここまで記述したギター・パーツだけでなく、テッドはギターのデザインに関するパテントも取得している。'57年に出願されたフライングV、フューチュラ、モダーンの3つのモデルのデザインである。フライングVは説明するまでもなく広く認められた最も過激なデザインのギターとして現在も高い人気を持っている。フューチュラはエクスプローラーの原型となったもので、比率は異なるものの、パテント出願の時点でZ字状のスタイルはほぼ完成していた。モダーンはその存在すら確認されていない幻のモデルとして知られ、'83年に限定生産された。これらのモデルは、当時アーチトップ・ギターがメインの保守的なブランドと思われていたギブソン社のイメージに対し、思い切ったラディカルなデザインのギターを発表することで先鋭的なイメージの回復を計ろうとするものだった。いくつかのデザインによるプロトタイプが作られ、その中からフライングVとエクスプローラーのプロトタイプが製作され、トレード・ショウでは大評判となったが、実際のショップやユーザーにとっては先進的過ぎて芳しい反応を得られず、フライングVは100本弱、エクスプローラーはわずか22本の出荷が記録されるに留まった。だが、時を経てこの2つのモデルの時代を先取りした感覚は徐々に認められ、現在もそのデザインを継承するモデルがコンスタントに生産し続けられている。

 テッドが指揮を取るギブソン社は、フライングV、エクスプローラーのデザインと平行して、ソリッド・ボディのギターに容易に移行できない保守的なギタリストの層に向け、'58年に発表されたES-335を皮切りとするセミ・アコースティック・ギターをデザインした。これはフル・アコースティック・ギターに近い16インチ幅のボディを持ち、fホールを備えながらも、ボディの厚みはフルアコの約半分の薄さで、ピックアップやブリッジが載る部分にはセンター・ブロックが仕込まれていた。外観や持ったときの感触はフル・アコースティックに近いが、サウンドはソリッド・ボディ寄りという画期的なアイデアを盛り込んだES-335シリーズは、発表以降も現在に至るまで途切れることなく生産されるギブソンを代表するモデルの一つとなった。

 その後もテッドは、フライングVとエクスプローラーでは思ったような成功を得られなかったモダンな感覚のギターを目指し、自動車デザイナーのレイ・ディートリックを起用し、ファイヤーバード・シリーズを開発したりなど、今なおギタリストやヴィンテージ・ギター・マニアの間で高く評価されているモデルの誕生に関わった。そして'65年、かねてから取り引きを通じて友人だったポール・ビグスビーのビグスビー社を買い取り、'66年にはギブソン社の社長の座を退くこととなった。テッドが社長となってから辞めるまでの間に、ギブソン社の従業員は120人から1,500人にまで拡張し、業績は100万ドルから1,500万ドルにまで成長していた。ギブソンの親会社であるC.M.I.のバーリン社長は多額の報奨金を提示して引き留めたが、テッドはそれを辞退してギブソン社を去ったのだった。テッドはビグスビー社をカリフォルニアから住み慣れたミシガン州カラマズーに移し、財政難だった経営状態を立て直し、マイ・ペースながらも堅実なビジネスを続けた。その後もエレクトリック・ギターの黄金時代を築きあげた貢献者として彼を敬愛する人は現在に至るまで絶えることなく、'90年代に入ってからはポール・リード・スミスに請われてアドヴァイザーとして関わったりしている。'01年4月、テッド・マッカーティーは91才で永眠した。彼の名前はエレクトリック・ギターの歴史と共に、後世に語り継がれていくだろう。

(川上啓之)
写真:YMM PLAYER別冊「HISTORY OF ELECTRIC GUITARS」より転載。

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