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ギター偉人伝

C.F.マーティン C.F.MARTIN(1796年〜1873年)

 アコースティック・ギターのトップ・ブランドとして君臨するマーティンの創業者であるクリスチャン・フレデリック・マーティン。1833年創業の古い歴史を持つこのブランドを築いた彼の名前は、今も同社のトレードマークとして創業年と共にそのイニシャルが刻まれている。アコースティック・ギターの画期的な構造を発明し、マーティン・ブランドの繁栄の基礎を作り上げただけでなく、現在のフラットトップ・アコースティック・ギターの原型を作り上げたのだ。彼のギター製作に従事した波瀾万丈の半生をここで振り返ってみよう。

 クリスチャン・フレデリック・マーティンI世は1796年、現在ではドイツの東部にあたるマルクノイキルヘンという小さな町に生まれた。その頃のマーティン一族は家具を中心とする木材加工の仕事を生業としており、彼の父親のヨハン・ゲオルグ・マーティンはその頃、ヴァイオリンのケースや出荷のための箱を製作する仕事に就いていた。その関係でクリスチャンは幼い頃から楽器製作に興味を持っており、同時に家族から木工技術を仕込まれていた。15才の時、クリスチャンは当時のヨーロッパの代表的なギター製作家のヨハン・ゲオルグ・シュタウファーの元でギター製作を学ぶため、オーストリアのウィーンへと赴いた。若くして才能に恵まれていたクリスチャンは、シュタウファーの工房で製作監督を務めるほどまでになった。1825年、クリスチャンはマルクノイキルヘンに戻り、そこでヴァイオリンとギターの製作を始めようとした。だが、当時そこでは楽器製造に関してはヴァイオリン職人のギルドが支配しており、クリスチャンの家族がキャビネット職人のギルドに所属していた関係で、クリスチャンは楽器製造を禁じられ、この問題は組合間の闘争にまで発展し、クリスチャンはその渦中に巻き込まれてしまった。この騒ぎの中で疲弊し、経済的にも苦しくなってしまったクリスチャンは、家族を連れてアメリカに移住する決意をした。

 1833年9月、ニューヨークに渡ったマーティン一家は、その年の暮れにロワー・イースト・サイドのハドソン・ストリートに楽器店を開いた。様々な楽器や楽譜を販売し、楽器の修理を受ける傍ら、クリスチャンはギター製作に取りかかった。当時のクリスチャンの製作するギターは、師匠であるシュタウファーの影響を強く残したもので、片側に6個のペグが並び、ヘッドの先端が円を描くような、後のフェンダー社のヘッドを連想させるようなものだった(写真A、B)。

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写真A:師匠・シュタウファーの影響が色濃かった、
最初期のモデル(ナザレス工場のマーティン博物館に所蔵)
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写真B:'97年に25本が限定製作された
復刻モデルOO-45とコフィン・ケース。

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写真C:C.F.マーティンが1850年に
発明したXブレイシング・システム。

 初期のマーティン・ギターの特徴として、ユニークなアジャスタブル機構を備え、ボディに対するネックの高さを上下に調整することが出来た。しかし弦のテンションによってずれてしまうこともあり、この機構は後に姿を消すこととなった。その頃、クリスの製作したギターは週に1本売れるかどうかのものだったという。

 アメリカに移住して6年後の1839年、都会での暮らしに息苦しさを感じたクリスチャンは、楽器店を手放し、同じくドイツから移住した友人の薦めもあり、生まれ故郷に似た雰囲気もあったことから、家族と共にペンシルヴァニア州ナザレス郊外のチェリー・ヒルに移住した。楽器店経営の煩わしさからも開放されたクリスチャンは、この地で本格的にギター製作に取り組み、シュタウファーの影響から脱したオリジナリティを確立していった。1830年代にはブリッジをマーティン独自のものとし、1840年代には、ヘッドを現在の0スタイルなどでも見られるペグの配置が3対3のスロテッド・ヘッドのデザインへと改めた。この頃には工房も拡張し、何人かの従業員も抱えるようになり、クリスチャン一人で作っていた時期よりも多くの数のギターを生産するようになっていた。また、多くの楽器問屋やギター教師ともネットワークを築き、数は多くはないものの全米各地に販売網を広げていった。

 クリスチャンがギターを改良していく流れの中で、クラシック・ギターから継承される伝統的なファン・ブレイシングに代わるものとして1850年に発明したのがXブレイシングだ(写真C)。このブレイシングによってボディ・トップの強度は増し、大型化とスティール弦への対応が可能となったのだった。ギターは元々ヨーロッパで誕生したものだが、クリスチャンのこの発明によって、スティール弦のフラットトップ・ギターの歴史が幕を開けたのだ。

 こうしてマーティン社の基盤を築き上げたクリスチャン・フレデリック・マーティンは、1873年2月26日、永遠の眠りについた。1897年にマーティン社は初めてシリアル・ナンバーをギター内部に刻印するにあたり、その番号を8,000番からスタートした。これはクリスチャンとその息子、孫の代に渡る1833年から1896年までに製作したギターの生産台数を割り出して決定した数字だった。その頃のマーティン社の状況を考えると、クリスチャンによって製作された数はその2、3割程度かもしれない。現在の生産台数から考えるとごくわずかである数のギターが、マーティン社の栄光を生み出したとも言えるだろう。

(川上啓之)
写真提供:株式会社 黒澤楽器店

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